どたんば見聞録

【台風21号】暴風と停電と飛散~初めて感じた暴風の恐怖の一部始終

災害

2018年9月4日の朝。普段通り目が覚めて窓から空を見あげれば、見事な快晴。しかし、昨日から強力台風の襲来が報じられていて、想定できる範囲の備えは前日の夜には完了済でした。

よっしぃ
よっしぃ
ホンマに台風なんか、来るんかいな?
嫁はん
鬼嫁
ホンマやで、台風が来てもいつもの感じで大したこと無いやろ・・・

っと、めずらしく鬼嫁と意見が合う朝食の食卓での会話が災いの元でした・・・




本当に午前中は穏やかと言って良いほどの天気だったんです。しかし、お昼前に急に空はドス黒系の雲が渦を巻くのが分かるほどに表情を変えました。

まさに『風雲急を告げる』でしたね。

それから、ものの数分のうちに、雨風の音が自宅のテレビの音を遮るようになり、窓から見える風景に水滴と飛散物が目立つようになりました。

生まれて初めて風の恐怖を感じた日


私は大阪で生まれて50年、何度か台風を経験しては来ましたが、生まれて初めて『風の音が怖い』と感じました。それほどこの台風21号は凄まじいものでした。

まさか、こんな光景を大阪市内で目の当たりにすることになろうとは、夢にも思っていませんでした。今も昼間の風の音が耳を離れずに脳裏に吹き続けています。

私自身は結果的に被害は、ほぼ皆無だった

台風の猛威は3時間ほど続きました。真夜中の今も外は大雨ですが、幸い私の自宅は被害がありませんでした。

しかし、目の前の古い倉庫のスレート葺きの屋根が一枚一枚剥がれ飛んでいく光景をリビングの窓から見続けながら、心の中で『お願いやから、こっちに飛んでこんどいて!』と祈る気持ちでした。

やがて、雨風ともにピークは過ぎ、暴風が収まった午後4時ごろに、少し離れた場所にある私の事務所に向かいました。

約5分ほどで到着する道中に見た風景は本当に恐ろしいものでした。散乱する屋根材と瓦が道路をふさぐ。信号機の灯が消えている、もしくはあらぬ方向を向いている。

私の事務所は築年数が古いので、5分ほどの車内では祈る気持ちでハンドルを握っていました。

到着した事務所前で見た驚愕の光景

散乱物を避けながら、事務所に到着した私は愕然としました。

私の事務所の目の前の町工場のシャッターが吹き飛ばされて、工場内の姿をあらわにしたまんまに変わり果てていました。それどころか屋根も吹き飛ばされていて、雨が工場内の機械類に降り注いでいる最悪の事態。

この町工場の社長とは懇意にしているので、すぐに電話をして状況を説明すると数十分後に現場に飛んできましたが、社長は目の前の信じがたい惨状に膝から崩れ落ちました

私は彼を落ち着かせて、現場を離れて帰宅しましたが、明日は早朝から復旧の手伝いをする予定です。それとは反面、私の事務所は幸運だったことにまったくの無傷でした。

しかし、風向きが違っていれば私の事務所が大破していた可能性も充分に想定できるので、本当にラッキーだったとした言いようがありません。

近隣で停電が多発している現状

夕方に息子から連絡があり、『停電しているので今夜はそっちで泊まる』との連絡が入りました。

息子は大阪のグランフロントの近くに住んでいて、今日は臨時休業で自宅待機をしていたらしく、マンションの管理組合から停電で復旧の見通しが立たないとの状況だと説明を受けたので帰宅してきました。

すると今度は私の友人から連絡があり、『停電で風呂が入れない』とのこと。私はすぐに自宅に招き入れ、夫婦と高校生の息子が入浴し、せっかくだからと冷蔵庫にあるものだけで一緒に食事し、昼間の暴風のことを話しながら、軽く一杯飲んでました。

すると間もなく彼の携帯に自宅の送電が復旧したとの情報が入り、無事に親子三人は自宅に帰っていきました。

今回のテーマのまとめ

    • これからは台風を軽視せず準備を怠らない
    • 大雨への備えも可及的速やかに実行する
    • 地震への備えも可及的速やかに実行する

はっきり言って、今回の台風をナメていた自分がいました。実は大阪人あるあるで「大阪はあまり大きな災害は無い」みたいな潜在意識があったことは事実です。

今回の体験を教訓とし、次に襲ってくる災害時に「自分がやるべきこと」と「避難する手段と経路」をしっかりと確認し、準備しておく重要性を周囲の人たちと共有していこうと思います。